170118 BONUS 超連結クリエイション Vol.4

テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)
2017年 1月18日(水)
東京工業大学 デジタルホール(大岡山)

木村覚さんが精力的に行っている活動の発表会のような場です。今回初めて知り合った若くて面白いことをたくさんやってる人々とも出会い充実したイベントでした。手塚はトレースについての今回用の作品(ワークショップと作品の合いの子みたいな)をやりました。盛りだくさんの最後だったのでみなさんお疲れだったと思いますが、それぞれのスタンスでそれぞれの視点から関わっていただけた感じ、それをその渦中に入って味わえたこと、とてもありがたかったです。
http://www.bonus.dance/creation/42/

161103 『いつの間にか音頭』@鹿児島市

KCIC(かごしま文化情報センター)の皆様と対話をしながら、2015年は民俗芸能のリサーチを行い、今年はワークショップ「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト」を行ってきました。

2016年6月18日 「未来のまつり 今日のまつり」と題した、様々な時代、地域、人々のまつりをちょっとしたテーマに沿って見てみるということをしました。
鹿児島の民俗芸能はもちろん、パレード、フェスティバル、労働歌、盆踊り、コンテンポラリーダンスの振り付け家が挑んだニュー盆踊りや、アメリカで虐げられた人々の抵抗からはじまった音楽を聴いたり、よさこい踊りを見たり、時代も地域もあっちに飛んだりこっちに飛んだりしながら見ていると頭がぐるぐるしてきて、心地よい混乱と様々な問いが去来しました。

その後、月に一回のペースでワークショップをしました。手塚の考案した「間にあるもの音頭」から出発し、どうしたら、ノリの違う人々が共に場を共有しつつ楽しめるか?というような問いを元により面白い芸能の発明を目指しました。

2017年11月3日、文化の日に、街は一面おはら祭り一色の中、市役所の一角を使って、わたしたちの祭りの場をつくりました。名付けて『いつの間にか音頭』。トークのためにきてくださったアサダワタルさんは踊りにも音楽にも参加してくださって大いに盛り上がりました。奇跡のような瞬間もなんども訪れました。

どのような音頭になったかや、それまでの詳細なプロセスをKCIC(かごしま文化情報センター)さんが丁寧に時間をかけて作成してくださった電子書籍がありますので、ぜひお読みください。

http://bccks.jp/bcck/147581/info

161022 糸島芸農 2016

糸島芸農

2016年10月 22日(土)23日(日)/ 29日(土)30日(日)

です。会場はとても広いです。
http://www.ito-artsfarm.com



私は、パートナーである寅雄氏と近所に住む大工さんの加賀田さんと3人の作品として『排泄物語』といものを展示しました。これは、我が家の3人で一ヶ月使ったコンポストトイレを、加賀田さんの支えにより個室トイレに設置しなおし、その個室の中に様々な排泄の歴史やエピソードなどを落書きしたというものです。まだ少し展示してありますので、実際に大便を排泄していただけます。ぜひご利用ください。

また、29日の16:40頃から(前の催し物である河合拓始さんの演奏が終わり次第)ダンスを踊りました。27日に横浜で母の子宮摘出施術があり、私は手術後に摘出された子宮を目撃しました。子宮はとても綺麗なピンク色をしていました。そして自分はそこから生まれてきたんだという、神秘的で優しい感覚に包まれました。その経験があって、改めて稲荷神社に行ったら、私の近所で神社のことを「お宮」と言ってることを思い出して、お宮の宮って子宮(しきゅう)のきゅうじゃん、と思って、改めて構造を見てみるとなんだかお宮って子宮にそっくりじゃん、と思いました。奥が見えなくなっていて、その向こう側は異次元というか神様と繋がっているわけですよね。そしてそこまでの道は「参道」そして子宮へのアプローチも「産道」じゃないかと。そんなことを考えていたので、踊る前にそのことをしゃべりました。しゃべっていたら河合さんが素敵な音や声を出してくださって、それを聞きながら少しずつ踊っていたら声が出てきました。河合さんの鍵盤ハーモニカと一緒に声を出して言ったら、なんだか叫びみたいな声になってそしてほえ声みたいになって、なんだか出産みたいじゃないか、という感じに変化して行って、不思議な気持ちでした。でもその時の私のどうしょうもない「なってしまう」感じのまま居られたことが何より良かったです。

踊りを終えた後、レジデンスアーティストのGuyさん(イギリスの方)に説明して欲しいと言われたのですがうまく説明できなかった、ので英語の翻訳ソフトと貧しい英語の知識を合わせて文章を書いてみました。ひどい英語かもですが、ひとまず。

The history in a shrine is complicated for Japan.
The Shinto was ancient belief near animism originally.
The Buddhism came in Japan from China in around A.D. 500.And it mixed with the Shinto and the Buddhism.  While the Buddhism mixed with the Shinto, the Buddhism was the hierarchy of the top more than the Shinto.

After that when doing Western modernization, the Shinto and the Buddhism were cut and divided as a Japanese policy. Japan has decided an emperor for the greatest person of the Shinto Because for the Shinto became a national religion in Japan, Many shrines were included in the organization of the national Shintoism. The Shinto changed with that a lot.

A shrine is "JINJA" in Japanese, but, another, call is "OMIYA". When translating into English, that's a palace, but Maybe its etymology meant death by Indian Pali. Originally, There is a possibility that "the people who died" were being deified. A womb is called "baby's palace" in Japanese. It's "SHIKYUU" in Japanese. When only a kanji is seen, "SHIKYUU" will be sign of the astrological sign. And a womb also writes "baby's sign” in Japanese. I find the shape to be really very similar to a shrine and a womb. There is an approach to Shrine, and there is a place where I'll come to the inside, and the inside isn't seen any more. A womb has a birth canal, and the inside isn't seen any more. Both ways are called "SANDOU" in Japanese. It's complicated talk, isn't it? By the way The researcher of the Jomon period who has that says. There was belief that the dead return to a womb and start a trip to the mortal world from there. So, the Shinto, originally, it may be the one affected by the Jomon period.


My mother cut a womb off by uterus cancer. I saw the womb. I found to come from the inside by very beautiful pink. But what would be over the womb? And if I die, do I return over it? so I wonder there.


また、29日の17:00から翌朝の11:00頃まで「ひと晩かけて人と人の間を発酵させるワークショップ」を行いました。

http://www.ito-artsfarm.com/2016/09/16/event_tezuka/

今までに、「間にあるもの音頭」やそれに類する様々な「人と人の間から湧いてくる歌や踊り」または、「拮抗することから出てくる内発的な歌や踊り」がどうやって生まれるかの実験を繰り返してきましたが、今回は時間をかけることでじわじわ人と人の間に変化が生じてくる感じや、時間をかけて一緒に試行錯誤することにトライできて、今までに得られなかったある実感のようなものがありました。集団ではない流動的な「私たち感覚」とでもいうようなもの、離れていても同じ菌を保有してしまっているような暖かさというか、それでいてそれぞれが菌を増殖させたり変化させたりする流れが生まれているようなそんな実感です。関わってくださった皆様に感謝です。

160831 福岡市美術館 トークと間にあるもの音頭

福岡市美術館がしばらくお休みしてリニューアルに備えます。その直前の『歴史する』という企画展にまつわるトークイベントとクロージングの日にちょっとしたお祭りがありその中で『間にあるおの音頭』をやりました。

2016年8月21日(日)14時
社会学者の岸政彦、川端浩平、ダンサーの手塚夏子によるトークセッション


2016年8月31日
手塚夏子と山中カメラ、福岡市美術館×音頭 
時間 8:15~19:25 
場所:2階屋外( エスプラナード) ①手塚夏子ワークショップ「間にあるもの音頭」 ダンサー・手塚夏子の手引きにより、福岡市美術館という場で、人と人とのあいだから、おどり と歌をたちあげる。

ちょっと前まで 普通でした
今でしょう 変わるのは
歩み出すぜ いくぜ
たくさん こどもが
まちがいなく オギャー といった時から
成長する 私がいる